37歳 不妊治療→妊娠経過ブログ‪🍀

アラフォー 1人目妊活♡⃛ 流産乗り越え、4回目の移植で妊娠⸜( ˶'ᵕ'˶)⸝♡

私の父

少し長くなります。

突然父の話をしてしまいすみません。

ですが、どーーーしても、書きとめておきたくなりました。お時間あればどうかお付き合い下さい。

(思った事をつらつらと書いてます。駄文もいいところです…本当に読みにくいと思いますが、温かい目でご覧頂ければと存じます…)

 

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私の父は、2021年5月に癌で亡くなりました。

 

コロナの真っ最中で、緩和施設に移ってからも1日15分しか会えず、しかも施設全体で予約できる人数が決まっていて会えない日すらありました。

 

父は、本当に心の底から誇れる自慢の人でした。

 

公務員という自分の立場をよくよく理解し、民間で働く私や兄、周りの方達を敬い、自身の仕事に誇りと税金で働かせて貰っている事の有り難さを持って働いてました。

 

仕事の愚痴は1度たりとも聞いた事はありません。

 

男とは、親とは、そういうものだ。

と無言で語ってくれている様な気がしました。

 

本当に優しく温かい、心の広い強い人で、いつも自分より周りを大切にする人でした。

 

そんな父が、胃癌になり。

 

全摘すれば大丈夫!と言う医師を信じましたが、実際はもっと深刻で、術後に転移が見つかりました。

 

そこから抗がん剤治療が始まりましたが、日に日にやせ細っていき、以前の様な温かさが少しずつ失われ、いつもイライラしていて、少しずつ人が変わっていってしまいました。

 

この時の父を見るのは本当に辛かったです。

 

それでもギリギリの理性は保っていて、私や兄にできるだけ迷惑はかけまいと、泣き言も不安な気持ちもほとんど口にする事はありませんでした。

 

私に出来ることは何かないのか。迷惑しかかけてこなかった私。自宅で療養している父にもコロナの影響で頻繁には会いに行けず。

 

そんな時ふと、父が元気だった頃に話していた事を思い出しました。

 

父は何かと私や兄家族に尽くしてくれました。金銭的にも行動でもです。

 

「必ず恩返しするけんね。いつもほんとにありがとね」と私が言うと、父はこう言います。

 

「何も返さんでよか。お父さんはばーちゃん達に(父の両親)にしてもらった事をお前達にしよるだけ。やけんお前達は、お前達の子供にしてやればいいと。」

 

何でか少し涙が出たのを覚えています。

 

なるほど、こんな考え方があったんだと。よく無償の愛だとか言いますが、何となく分かった様な気がしました。

 

なので、私は敢えて必要以上に闘病中の父に特別な事を頻繁にはしませんでした。かえって父が気にすると思ったからです。

 

それでも会えた時はできるだけたくさん話をして、気遣いもしましたが。

 

そして運命の日がやってきます。

 

父は病状がどんどん悪化しており、仕事にも行けなくなり自宅療養していたのですが、ついには体が限界を迎え、入院することに。2週間ほどがんセンターに入院しましたが、もう手の施しようがない、との事。

 

面会謝絶でしたのでその間はずっと会えず、やっと会えたのは緩和施設に行く手続きと先生の説明を聞く時でした。

 

父は私達の前だからでしょうか。力なく笑い「先生、俺あとどれ位生きられると?」と聞きます。先生は「…1ヶ月位だと思います」

 

天地がひっくり返ると言うのでしょうか。人生で初めて位のショックを受け、涙が止まりません。

 

でもいちばん辛いはずの父は、表情を変えず「そうか、1ヶ月か」と。

 

久々に父の肩に触れたのですが、もう骨と皮でしかなく、苦しくて苦して。でも父が泣きもせず弱音も吐かずにいるのに、私が泣いては父が不安になるでしょう。

 

つとめて明るく振る舞い、限られた時間で少しだけ話をしました。

 

そしてとうとう緩和施設へ。冒頭にも書きましたが、ほとんど会いに行けませんでした。

 

それでも行ける日は全部行って様子を見ていましたが、日に日に父は弱っていきます。言葉も弱々しく聞き取るのも難しい様な状況になっていきます。

 

ある日、母方の祖母を連れていきました。

 

祖母を見ると、父が「おかあさん、わざわざすみません。わたし先にいきますけん、あとよろしくお願いします」と涙を流して言うんです。

 

祖母は、夫と息子を数年前に亡くしており、父がずっとお世話してたので、おそらく普通の関係性よりはより濃い姑と婿の関係だったと思います。

 

こんな時も、周りを気遣うのかと思いました。

先に死んでごめんなさい、なんて。

 

悲しくて悲しくて泣きました。

 

そして、帰り際です。私にだけ聞こえるくらいの声で「普通に…死にたかったなぁ…」と、一筋涙を零しながら呟いたんです。

 

多分、生まれて初めて見る父の弱音でした。

 

あんなに強く誇り高く素敵な父に、こんな事を言わせる病気が、コロナの状況が、憎くて憎くて憎くて、悲しいと悔しいでもう心が張り裂けそうでした。

 

その2日後の午前中に、父は誰も見ていない時にひっそりと息を引き取りました。

 

まるで死に様を誰にも見せまいとした様に思えました。

 

父は、死んだ。

そして残っていたメモ帳。

 

そこに書かれていたのは、悲しみの言葉でも家族に当てた思いでも弱音でもありません。

 

震える字で書かれていたのは、支払い関係や銀行、カードの情報、仕事上連絡をしないといけない人のリストなどをまとめたものでした。

 

最後まで私達周りのことだけを考え、迷惑をかけない様にとしていた父。

 

私が父に最後にかけた言葉は「また来るけんね」です。

 

「大好きだよ」「今まで本当に有難う」こんな言葉を言えばよかったのに。そんな事を言ったら、父が死ぬんじゃないかと思って、また来るって。それしか言えなかった。

 

全身の水分が無くなるほど泣いたし、何度も運命を呪いました。

 

亡くなった日の夜は一睡も出来ず、そのままお葬式でほとんど記憶にありません。

 

そんな父とお別れをして2年ほど経過した今。

今私は不妊で苦しんでいます。

 

この世には、神も仏もいません。

それは、父が亡くなった時点で私の中では確定です。

 

あんなに働き者で優しくて立派な父が、最後には1人で苦しみながらほとんど誰にも会えず死んでいかねばならなかったんです。

 

いたならいたで、私は絶対に許しません。バチが当たろうと関係ない、助ける事ができたのに助けなかったのだとしたら、決して私は神を許しません。

 

だから、それから神頼みはやめました。いてもいなくてもどうせ願いなど聞いてくれないのです。

 

ただ、それでも。

 

何となく、天国や浄土の様な場所がある事は信じていて(と言うかあると思いたいのかもしれません)今も父が上から見ていてくれる気がするんですね。

 

というのも、何か判断したり考えたりした時に、頭の中に父の言葉がふっと聞こえてくるんです。

 

父が亡くなった後、仏壇を選びに兄夫婦と仏具屋さんに行ったのですが、お嫁さんが「これは大きすぎる」とか「デザインが嫌だ」と、まるでインテリアを選ぶ様な言葉で。

 

悪気が一切ないのは重々承知していましたし、実際管理する事になるのは兄とお嫁さんなので、そこは2人の考えが尊重されるべきとは思ったのですが…父を蔑ろにされてる気がして、その時はものすごく腹が立ったんですね。

 

そしたらですね。すぐ頭の中に父の言葉が聞こえてきたんです。

「よかよか!嫁ちゃんの好きにさせりぃ。だいたい仏壇やら何でもよかと。高かと買うたって勿体ないだけやろうもん。そげなもんに金使う位なら子供たちに使いなさい」と。

 

あーー、確かに父ならこう言いそう笑

と思った瞬間、すーーっとイライラが消えたんです。

 

それからもそういう出来事は度々あって。

父は死んでいながらも私にアドバイスをくれます。

あぁ、なるほど。よく言う「心の中で生きている」とはこういう事なのかって思いました。

 

そして、今。私は3回目の移植も結果に繋がらず、またどん底まで落ち込んでおりまして。

 

一日中泣き明かしたり、自分の全てが嫌になり、もう何もかもがきつい日々。

 

すると、あるタイミングでふっと父の様子が浮かんだんです。

 

天国で、父が必死に神様に向かって「娘の為にお願いします。無理なのは分かっとります、そこを何とかして欲しい、お願いします、お願いします!私が何でもしますけん、何とかしてやって下さい!」と、頭を下げている情景です。

 

そして、私に「すまんなぁ、なーーんもしてやれんで。辛かろうなぁ。お父さんが変わってやれたらいいとやけどなぁ」こんな感じの事を言ってくれてる気がしたんです。

 

きっとこんな世界はないし、こんな事も言ってないんでしょうけど…笑

 

大事なのは、そんなありもしない想像をしてしまう程に、未だに父の愛情を感じるという事。

父の考えを確かに受け継いでいるのだと言う事。

 

これから子供を授かれるかは未知数です。

もしかしたら、もっともっと辛い状況が待っているかもしれません。

 

それでも…私には、こんなに愛情深く、誇れる父がいたんです。それだけで幸せだったんですよね。

 

元々私は子供好きな方ではなく、授かれたらその時は…位のモチベーションだったんです。

 

気持ちが変わったのは、父が亡くなった後、父の言葉を思い出し、父が私にしてくれた事を子供に返していきたい。私も子供にとって父のような親になりたい。そう思って、不妊治療を始めました。

 

だから結果がどうなろうと、なんとかやっていこうと思えました。

 

万が一、今後授かれなれくても…

 

こんな風に思えた事が、かけがえのないものなんですよね。

 

お父さん、今更だけど本当にありがとう。

とにかく後悔しないように、私は頑張ります。

見守っていてね。

 

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以上、長々と見知らぬ他人の父親の話を聞かせてしまい、すみませんでした…^^;

 

でもこうして文字にすると何だかスッキリしますね。父に対して思っていた事、感じた事。書けて良かったです( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)

 

また何かあれば書かせて頂くかもしれませんが、その時はどうぞよろしくお願いしますm(*_ _)m

 

それではまた次回‪ஐ‬⋆*

 

 

 

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