※ものすごく長いですが、お時間ある方はぜひご覧頂ければと存じます(>_<。)
妊活ブログの為、前向きなお話を極力していきたいのですが…
この『流産』という経験は、私にとってどうしても忘れられず、また忘れてはいけない事と感じ、実際に起こった事や感じた事を書かせて頂ければと思いますm(_ _)m
一昨年、一念発起して不妊治療を開始しました。
色々な検査を経て、先生とも話し合いタイミング法を飛ばしての人工授精。
2回目のトライで陽性反応を見た時は、飛び跳ねて大喜びしました。
妊娠検査薬で陽性=妊娠=出産!
本当にこの時までは、こんな風に考えてました。
でも、色々な方の体験談等調べたりしていくうちに、まだまだ超えなければいけない壁がある事を知ります。
それでも自分は大丈夫だろうと、どこかで信じきっていました。
そんな時、母が急死。その前の年に父が亡くなったばかりです。信じられず、しばらくは妊娠した事も忘れてしまう位に悲しみにくれました。
それでも、赤ちゃんは育ちます。兄家族や夫に支えてもらいながら、何とか前向きに過ごせる様になりましたが…
胎嚢確認もでき、順調であればそろそろ心拍確認ができてもいい頃。診察で医師は若干の曇り顔。
『また来週来て下さい。卵黄囊のみで赤ちゃんが見えないんですよね。きっと来週見えますよ』
少なくとも順調でない事が分かり、私は、そうですか。分かりました。と無機質に返事する事しかできません。
帰り道の記憶があまりなく、気がついたら家に居た印象でした。
自分が赤ちゃんを信じてあげなくてどうするんだ。母親になるのにそんな弱気でどうするんだ。もう母も父も居ないのだ。自分しかいないのに…
とめどなく涙がこぼれます。父と母の遺影の前で、『お父さん、お母さん、お願いです。助けて。赤ちゃん助けて』そう言いながら、手を合わせて泣きました。
そして診察の日がやってきます。泣いても笑っても今日全てがはっきりするわけです。
今日は夫も呼ばれていて2人で来ていました。前回より心強いですが、やはり待ち時間は胸中穏やかではいられません。診察中はずっと手を合わせてました。
そして診察を終え、医師の説明を聞きます。
『やっぱり、赤ちゃん見えません。残念だけど稽留流産です』
覚悟はしていましたが、ショックでした。よくマンガ等で描写される様な、ぐにゃっと見ているものが歪む様な感覚。
でも、私が泣いたり動揺していると話が進みません。クリニックにはたくさんの患者さんがおり、皆不安な気持ちで待っているのです。
涙を押し込み、できるだけ冷静に先生の話を聞きました。
『自然排出を2週間位待ってみて、出てこなければ掻爬手術しましょう』
『大丈夫って言うのも変な言い方ですが、pyomさんの年齢ですと、だいたい4人に1人位は流産を経験されます。まだまだこれからです』
こんな風な話をしました。
夫は私よりさらに冷静に話を聞き、気になる部分にテキパキと質問し、2人で挨拶して部屋を出ました。
夫は何も言いません。私の気持ちを察してくれての事だと思います。
当然家に着いてから号泣しましたが、いつまでもこんな事ではいけません。このお腹には確かにまだ赤ちゃんになるはずだった子がいるのです。
自然排出、でなければ手術をする。その覚悟を決めました。
そして目安の2週間が経過。お腹の子はまだまだ居たいのか、のんびり屋さんなのか。出てきてくれません。
稽留流産と改めて診断され、掻爬手術になりました。
静脈麻酔が思ったより痛くて怖くて。でも気がついたら終わってました。下腹部はズキズキしています。
安静室に移動し、呆然とベットで横になっていると、とても優しい看護師さんが声をかけてきてくれました。
多分この時初めて、ほとんど知らない相手の前で号泣しました。迷惑だろうに、見慣れた光景だろうに、看護師さんはとても丁寧で優しく対応してくれました。
『もう居ないんだ』
お腹の痛みでその現実を思い知らされる。そして何より、決定的な事に気づいたのです。
自分で思っていた以上に、私は母になりたかったんだ。正直、周りの人達に比べて子供が好きな方ではなかったから、当初は『居ないなら居ないでいいかなぁ』なんて呑気に思っていたりもした。
でも、いざ治療を始め赤ちゃんがお腹にいると分かってから、流産と言われるまでの期間は、それはそれはもう、幸せだった。
両親の死の悲しみ、辛さを忘れられる程だった。間違いなく人生で一番幸せだと言えた。
でも、もう居ない。これから何を頼りに生きていこうと思った。最愛の両親は居ない。待望の赤ちゃんも居ない。熱を持って取り組める様な仕事をしている訳でもない。
それに、これから周りの友人や親戚が子供たちと幸せな日々を送る中、自分は笑って話せるだろうか。今までと同じ様に接する事ができるだろうか。
手術後はしばらくこんな気持ちが続き、長く苦しい悲しみのトンネルに突入します。
外に出れば、家族連れが居る。マタニティマークを身に付けた女性、お腹の大きな女性。SNSを見れば、誰もかれも家族の投稿。
もう絶望です。このまま消えてしまいたいと何度も何度も思いましたし、ついには口にもしました。
夫はいつも懸命に話を聞いてくれ、時期を見てある日こう言います。
『不妊治療は始まったばかり。まずは着床できるって事が分かった。前進してるって事だよ』
何と言うか、夫らしい言い方で。流産したのに前進って何!?とか当初は思ってしまいましたが、後々その言葉が効いてきて、徐々に前向きになれました。
そして、少しお休みを挟んで人工授精を再開。再開したはいいものの、その後4回陰性。累計で6回で出産できていない為、体外受精を打診されました。
経済的な問題や気持ち的な部分も含め、半年程治療をお休みしてから、今年5月〜体外受精スタート。
つい先日移植をし、今に至ります。
流産の経験は、誰彼構わずに言える事ではありません。今、これを見ているあなたも、誰にも言えずに一人で抱えているかもしれません。
あるいは、言えたとしても望んだ対応はされず、さらに傷つく結果になっているかもしれません。
私もしばらくは誰にも会わず話さずで過ごしておりましたが、自分を思ってくれる、信頼出来るごく一部の友人に(両親が立て続けに亡くなった事も知っており、皆心配してくれていました)気持ちが落ち着いてから流産の事を話しました。
すると…既に子供が居て順風満帆に見えていた友人達にも、見えていない所に皆様々抱えていた物があったんですね。
・2人目を無脳症と診断され、泣く泣く手術をして堕胎したのだと号泣する2人の子持ちの友人。
・授かり婚で結婚し、望めばすぐに授かれると思っていのになかなか授からず、2人目不妊の長い治療の末、10年目にしてやっと2人目を産めた友人。
書き出したらきりがないのですが、皆それぞれに抱えてました。
それから、考え方が変わりました。ずっと見るのが辛かった家族連れや妊婦さん。この方たちにも何かしらの苦労や悲しみがあるだろう事。
何故私は勝手に自分だけが不幸だと思っていたのかと。
妊娠出産が奇跡である事。=そもそも今、自分が存在する事、夫や兄家族、友人が居る事がとても大切で尊い事。
それを思い知ったのです。
これは、流産という経験があったから気づけた事でした。
今これを読んで下さっている方は、恐らく流産を経験した方が多いのでは?と思っております。
もし、今悲しみの真っ只中に居て、生きる事が苦しいと考えているのであれば…
妊娠出産が奇跡である事。=今、自分が存在する事、家族、友人が居る事がとても大切で尊い事。
是非これをよくよく考えてみて下さい。何も偉そうな事を言うつもりもなく、綺麗事でもなく。
心の底から、私はこの考えに至った時に本当に少しだけ楽になりました。
無理に何か頑張る必要はないんです。今ある幸せを大事にしていきましょうね.*・゚
長々と駄文を読んで下さりありがとうございましたm(*_ _)m
引き続き、pyomの不妊治療ブログをよろしくお願い致しますஐ⋆*